不意に渉は眉を少しだけひそめた。彼にとってはもう1つの日常とすら呼べる、慣れた匂いが鼻を掠めたのだ。
それは戦いの合図だった。そこが相応しい場所で、それが相応しい状況であったなら戦いもするだろう。

だが、横にいるのはいずみで、2人は郊外の動物園への道中である。何もかもがそぐわない。
朝が早く人通りがないのがまだしも救いか。
どちらにせよ、渉はその場からの逃走を選ばなければならなかった。

「いずみ。」
常より低い声の渉が、更に低い、潜めるような声でいずみの名を呼ぶ。
それは2人の合図だった。
それは、合図が出来上がる程には稀な事ではなく、だが、平常でいられる程、頻繁に起こる訳でもなかった。

「え、またぁ?」
だから、いずみはうっかり不満の声を上げてしまう。
本気で非難するような声になってしまって、あわてて今度はわざとらしく、半ばふざけるような声色で不満を口にした。
「もー。楽しみだったのにー。」

ああ、やっちゃったなあ、ワザとらしいよなあ。
そう後悔しながらいずみは、次こそは冷静に、何でもない風に振舞おうといつも思うのに、うまくいったためしがない。

だが、そのわざとらしさ、彼女がつい上げてしまった本音の非難こそが、彼にとって救いだった。
彼女が本当に動じなくなった時、それに慣れ切ってしまった時、彼は傷付くのであろう事を、彼女は知らない。

「悪い。今度、必ず埋め合わせするから。」
「ううん、いいよ、渉のせいじゃないし。」
これ以上は、罪悪感を感じるのも感じさせるのも、お互いに対する侮辱だと、2人は知っていた。
何も強制はされていない。全て自分たちで選んで望んだことなのだ。

傍から見ればまるで、彼氏の急なバイトか何かでデートの予定が潰れてしまったカップルのように見えるだろう。そんな雰囲気で、2人は淡々と会話をすすめる。

「今日はもう家に帰る?」
いずみは、渉の肩に手を回す。
「ああ。」
渉は、いずみの背を支えながら、もう片方の手を彼女の膝裏に差し込み、その上体を起こしたまま横抱きにした。1回だけゆすって抱えなおす。
「そっかぁ。お昼はお弁当でいいよね。…晩御飯何がいい?」
渉は、必要箇所の筋肉・骨格・神経その他の強化を始める。
「…何でもいい。行くぞ。」

もう。何でもいい、が1番困るのに。
そう言うにはひと呼吸遅かった。諦めて、いずみは渉の首元に顔を押し付けるようにして目を閉じる。

晩御飯、何にしようかなぁ。

あれこれ悩み始めるいずみを抱えた渉は、人間にはありえない速さでその場から離れだした。









*********

北海道での大学生活時代のふたり。
ナチュラルに半同棲させていました。
なんだかんだでいずみは巻き込まれていて、渉さまは非常に悔しがっていると萌える。



2010/7/16



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